慰霊巡拝の未来
大戦終了後3年。日露2国合同慰霊祭を敢行いたしました。当時ロシア人は、戦争で戦った敵の慰霊碑を建立する等というのは世界にも前例を見ないと心を打たれ、日本という国と日本人を心から敬意を抱きました。
実際にアメリカは戦時中グアムを要所とは考えず、グアムより軍事的に重要となるサイパンが必要だったため、結果的にサイパンで日本軍の戦没者数が多数となったのです。
第二次世界大戦の激戦地・フィリピンの国内では、五十万人もの邦人たちが亡くなった。戦後遺族らが周期的に慰霊のためフィリピンの地を訪問しているが、遺族の方の年齢も上がりフィリピンに来る人が減ってきたらしいです。
沖縄県では太平洋戦争の末期で、市民も犠牲となった地上戦が激しく展開してから実に68年目の「慰霊の日」となり、大戦中最後の激戦地だった糸満市では、御遺族をはじめとする方による追悼式がありました。
この非常に壮絶とも言える戦いがあった戦地を本当に訪れ、戦った兵士たちや一般の人の苦しみですとか絶望の気持ちとはどんなものかを感じてみることが出来ればと思って、私は巡拝ツアーに申し込みました。
ずっと戦争の犠牲者310万人という統計を用いていたわけですが、例えば原爆で命を落とした犠牲者の事だけを言っても、年ごとに増えていくんですから、戦没者総数だって直されるべきものではないだろうか。
毎年ガダルカナル島を訪れる戦没者慰霊ツアーにつきましては多くの方達にお越しいただいております。今年も数々の思い出の地を訪れつつ、印象深い慰霊のツアーをご案内致します。
実は国では、戦没者の方々を慰霊するために、戦没者遺族の方々向けに戦地への巡拝を行なっております。実際にはこの事業は、参加遺族にかかる旅行代金の内三分の一に当たる額を国が援助するものです。詳細は是非問い合わせてください。
戦没者の記念公園という場所がグアム北部地域に位置し、その敷地内には15mもの高さを誇る白い慰霊碑が建てられており、これの意匠人が「合掌」をしている形をモチーフにしているのです。
私達の会社は海外での戦没者慰霊を希望しておられる人の巡拝ツアーの手配を行っている業者です。大戦のかつての激戦地のあるエリアへ戦没者の慰霊巡拝をご提案して早くも二十五年もの歳月が過ぎました。
旧日本領・サイパンへ戦没者慰霊のツアーで訪問した事がある方というのは、もれなく有名なバンザイクリフへも行かれるはずですが、そこに建てられた堂々たる慰霊碑というのは実は日本が作った慰霊碑です。
太平洋戦争において激戦地となったフィリピンで、日本国大使館主催の慰霊祭が行われた。在留日本人の方など約三百もの方々が参加されました。大きな虫の鳴き声が響き渡る炎天下、静かにじっと黙祷を捧げました。
ツアーバスなどの手段では足を踏み入れられないサイパンのジャングルを中心とした地域には、戦後60年以上経った現在でも非常に沢山の戦争の傷跡が残っています。練達の日本語ガイドが丁寧に皆さまの慰霊巡拝をガイドさせていただきます。
この日本を守るべく、本当に沢山の人が死ぬ思いで戦われたおかげで、現在、私達の国の存在があるのです。という訳で私たちは、戦争で死んでいった方の慰霊を目的として、毎年定期的に巡拝に行きます。
フィリピンという所は歴史上特攻隊の発祥地なのですが、先の大戦での戦没者慰霊のための巡拝ツアーを実施しました。フィリピンの戦争関係者も沢山我々を出迎えて下さって、多様な特攻の出撃に関するお話等を聞かせてもらったのです。