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慰霊巡拝の未来

日本の厚生労働省では、遺骨収集の困難な海上で、日本の戦没者を慰霊するべく、戦没者の遺族を対象として、実は例年時期を決めて慰霊巡拝と戦没者の墓参行事を行っています。
およそ20年にも及ぶキャリアがありますからご安心下さい!戦没者慰霊巡拝をメインに実施し、今後も利用者の方のニーズを確実に実現するべく、最大の努力したいです。
私どもは海外戦没者の慰霊に行きたいと思われる方を対象としたツアーの企画を行う会社となっております。大戦のかつての激戦地に向けて慰霊の巡拝ツアーを企画して早いもので25年もの歳月が過ぎました。
実際に国としては、戦没者の方々を慰霊するために、戦没者遺族の方々向けに戦地への巡拝を行なっております。実際にはこの事業は、参加される遺族の皆様の旅費のうち3分の1を国が補助するものです。詳細はどうぞお問い合わせ下さい。
1965年、当時の南太平洋戦没者慰霊団がグアムの地で大戦における戦没者慰霊ツアーを実施したその時に、グアムの現地に趣旨に賛同する方を集め記念塔の建設が企画され、昭和45年の5月に建立されました。


パラオという所は先の大戦でとても激しい戦いの地になった場所で、多数の日本軍の皆さんが命を落とした地域でもあるのです。犠牲者の御霊を巡拝するツアーを組む際の支援をするのが仕事です。
遊びに行くリゾートとしてもパラオだけではなくて、このような巡拝ツアーに行ってみるという事により歴史について改めて考える事自体が、何より大切なこととつくづく思いました。
そもそも慰霊巡拝団は、各戦没地において行われる戦没者慰霊の合同の追悼式に行き、そして何事もなく帰ってくる事自体がその大きな目的なので通常の旅行のような観光や自由行動は全くなく、外出禁止令が出されたのです。
激戦地の周辺諸島の陸・海・空域で尊い命を落とされた戦没者の方を慰霊する巡拝だけでなく、日本とこれらの地域の国々との間の友好と親善を進めることを主たる目的として活動を行っているグループというのがあるんです。
戦没者を悼む慰霊公園という場所がグアム島の北部にあって、公園の中には15mもの高さを誇る純白の慰霊碑が建てられていて、これの意匠人が「合掌」をしている形を元にデザインされているとされています。


こうしていざ慰霊巡拝に参加するとなると、急いで処理しないといけない用事だったり、前倒しでやっておくいろんな用事は多数あるものですが、スケジュールを出来るだけ合わせて参加するようにしています。
比国にて戦没者の慰霊祭が行われました。市内旅行会社のコーディネイトによる戦没者慰霊ツアーに参加された方達ら、220名程が参列され、日本人の比国での戦没者たち52万人の人々への追悼を捧げました。
戦争が終わり3年後のことです。日本とロシアにより2国合同慰霊祭を敢行いたしました。そしてロシア人は、戦争で戦った敵の慰霊碑を建立するなんてことはこれまでに前例がないと感銘を受け、この時日本人を心底尊敬の念を抱いたのです。
沖縄県では大戦末期における、市民も道連れになった地上戦が激しく展開してから68年目の「慰霊の日」を迎え、いちばん最後の激戦地となった糸満で、遺族その他が参加をされる追悼の式典が開催されました。
「平和寺」という名称の教会風の建造物で読経をし、さらにお線香をあげるという事が実現した。こうしてやっといわゆる「慰霊」と呼べる事が出来て、気持ちの上でも一息つくこともできて良かった。