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慰霊巡拝の未来

この巡拝ツアーで20回目を数えるそうです。遠く離れた南洋で戦死した親兄弟がいる、似たような状況のご遺族の方々は、不思議と心がつながって、あたかもファミリーみたいに団結していた。
宿泊先に戻り、そこからツアーバスを借りて20分程度時間をとられる現場まで移動しました。ここを会場としてこのツアーの目的である戦没者の方を慰霊するスケジュールというわけです。
多くの方が知っているように、我々の会社は慰霊巡拝ツアーとして戦地を訪ねるツアーを企画しております。ツアーを始めた頃と比較してみると、この頃は非常にツアーに参加する人が増加してきた印象があります。
全く戦争には関連のない民間人同士が日本の軍が流布させたウソの情報に振り回されて、自決をすると心に決め、「同じ死ぬならいっそのこと自分たちの手で」等と思い詰め無残にも殺し合いをしたのです。
前までは戦没者を慰霊しに行くツアーなど存在せず、個人の方が行かれるって言っても交通アクセスが悪いため、本当にカワラの土地を訪問する日本人というのは少なかったと言えます。


フィリピンという土地は特攻隊が発祥した地で、戦没者を慰霊するためのツアーが敢行されました。地元の関係者の皆さんが大勢迎えて下さり、幅広い特攻の出撃についての逸話等をお聞かせ下さいました。
ツアーでグアムへ行くと日本から来た旅行者もたくさんいて、日本語を話すガイドさんがいるというケースもあり、言葉の面を心配する事はほぼ不要で、ツアーバスに乗り順々に島を巡って慰霊の場所を回っていきます。
私はフィリピンに在住だった時をうまく使って、フィリピン国内の第二次大戦時の激戦地を戦没者の方の慰霊のため訪れた経験があります。自分で撮影をした現地の写真と併せて私が書いた文章をここに掲載します。
この地沖縄では太平洋戦争の末期で、住民の方も巻き込むことになった非常に激しい地上戦から実に68年目の「慰霊の日」となり、大戦中最後の激戦地だった糸満市では、御遺族をはじめとする方も同席する追悼式典がありました。
いわゆる戦争という人間が自ら生じさせる災いで、どれほど人の尊さが傷つけられるか。犠牲になった戦没者数を把握するたびに、そんなことを実感する。


通常慰霊碑とは、戦争等により命を落とした方の魂を鎮めるために建てられる石碑のこと。戦争を繰り返さないという戒めや警告等の意味を持ち、メッセージにふさわしい文章が書いてあるというのが通常です。
ここガダルカナルでは第二次大戦で何と二万人以上の方々が亡くなりました。次の世代にこれを語り継ぐ事が今の時代に平和に生きている私達に与えられた役割だと戦没者慰霊のツアーを介して強く感じています。
長年にわたる南方地域での確かな信頼を武器に、普通だったら足を踏み入れる事は出来ないとか非常に困難だと言われるエリアだとしても、理想のとおりの慰霊巡拝を実施することが出来ます。
私共ではビアク島での大戦での戦没者慰霊ツアーアレンジを行っています。ビアク島という場所はずい分交通の面で不便が多く日本からは遠い島ではありますが、数多くの旅程の準備が可能でご好評を頂いています。
私共の会社は海外の戦没者を慰霊したいと望まれるユーザーの皆さまに対し旅行の手配を行っています。実際の大東亜戦争での戦地に向けていわゆる慰霊巡拝の旅を案内して30年余りも経過し、現在に至るという訳です。