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先祖供養することで、故人も貴方も救われます

1939年に始まった第二次世界大戦の影響により日本はインドネシア・マレーシアをはじめとする南方地域に進攻していくこととなりました。多くの日本の青年が現地に兵隊として出兵し、そして戦争である以上多くの人々が帰らぬ人となりました。
家族を残して、妻のお腹の中の子供を残して、日本の為に殉死された方々の事を思うと胸が痛みます。また、生きて帰ってこられた方々も、南方地域で起こった戦争のことは胸にしまってあまり多くを語らず余生を過ごされている方も多いのではないでしょうか?
先祖の方々が南方地域に出兵されていたのなら、今いる私たちも、他人事では無い気がしませんか?今平和な時代に生まれているから、祖父や父のことは何も関係ない!と考える方がナンセンスではないでしょうか。
今私たちが存在するのは100%先祖のお陰です。
平和でなかった時代の先祖を思い、平和な時代の私達が、その気持ちを汲んで亡くなった祖父や年老いた父の代わりに現地に赴き「慰霊巡拝」する、それをするニーズが高まってきています。結局は、自分も含めて先祖代々を癒す儀式と言える気がします。

戦没者慰霊巡拝の核心的魅力とは?

戦没者慰霊巡拝の本当の魅力、革新的魅力と聞かれると一言で簡単に説明することは難しいと思います。表面的な魅力としては、先祖・故人の魂を感じる、家を代表して先祖を供養することによって、自分自身や一族が救われた気持ちになる、等々あると思いますが、正直なところ、核心部分は「行った人でないと分らない、言葉に出来ない」ものです。

戦没者慰霊巡拝の本当の魅力、革新的魅力と聞かれると一言で簡単に説明することは難しいと思います。表面的な魅力としては、先祖・故人の魂を感じる、家を代表して先祖を供養することによって、自分自身や一族が救われた気持ちになる、等々あると思いますが、正直なところ、核心部分は「行った人でないと分らない、言葉に出来ない」ものです。


行かない以上、どれだけイメージを巡らせても、その思いや気持ちが整理できるものではないし、気持ちに区切りがついたり浄化できるわけでもないのです。
祖父や父が静止を賭けて戦った地、時に故人最後の地となったこの地を私達が踏みしめ、手を合わせることで言葉に表せない何かを感じていただくことができるのです。
その昔、祖父や父が得たであろう感覚を、今のその土地の人、町、海、空、時には南方地域特有のスコールでさえ、強く感じていただけます。 また、日本人に限らず現地インドネシア人も当時を知り語れる人が高齢のため年々少なくなってきておりますが。可能であればその当時を知る「生きた声」を聞いていただくとより故人を偲ぶことができると思います。