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慰霊巡拝の未来

先の戦争は数多くの西太平洋の島は当然の事、アジア全域を巻き込んだ非常に多岐に及ぶ戦域に広がり、長い年月続けられた過酷な戦争に他ならない。戦没者は軍人がおよそ310万人とされている。
北マリアナ諸島のサイパンは戦争で激しい戦闘があった場所で、多数の日本兵の尊い命が犠牲になりました。そうした地区をぜひ一回自分自身の目で確かめたくなって、戦没者慰霊ツアーへの参加を決心しました。
自分が訪問したことのある3か所の町には、両方に戦争で犠牲となった方を慰霊する目的の碑が立てられており、いずれの町でもそこには火を灯し、絶対に火を絶やさない事になっています。
激戦地の周辺諸島の陸・海・空域で尊い命を落とされた戦没者の皆さんを慰霊する巡拝のみならず、日本と同地域の国々の友好親善を確立することを主たる目的として活動しているグループがあります。
戦没者の記念公園という場所がグアム島北部地域にあって、園内にはその高さ15mもの純白の慰霊碑が建てられていて、慰霊碑の表に見られるデザインというのは両手を合わせた「合掌」を形どったものとなっていると言われています。


リゾート地という意味でのパラオ以外にも、こういった慰霊巡拝ツアーに参加することをきっかけに改めて歴史を認識する事自体が、非常に大事だと思ったのでした。
自身の戦争の記憶と共に沖縄県内で慰霊の旅をしていますが、絶対戦争はやってはならないとは言え、反対に直ぐに繰り返す事ができるのも戦争の恐怖だと思います。
名称を「平和寺」という教会風の建造物の中でお経を読み、線香をあげ供養するという事が実現した。これでやっと「慰霊」と呼ぶことのできる事がかない、安心する事になり喜んでいる。
ツアーの参加者がお思いになったことと言えば、日本の政府はどうしてこの場所を隠ぺいするように慰霊の碑を建てたのだろうかという疑問です。景色のため?それこそが唯一の疑問です。
ご自分で戦争の跡地に行き慰霊の巡拝をする女性ジャーナリストの方がおられます。戦争に昔から興味を抱いていたこのジャーナリストの方は、終戦後の問題について意見を述べた著作も発表した。


そもそも戦争というのは実際どのような歴史が影響して発生したのであるのか?歴史に「仮に」を適用したら、我々日本国はどう対応すべきだったのかを今後も考える事が重要だと思ったのです。
沖縄県では大戦末期における、住民の方も巻き込むことになった厳しい地上戦から実に68年目の「慰霊の日」となり、最後の激戦地として知られる糸満で、多くの遺族による追悼式典がありました。
終戦から50年が経ち、かつて私の父親が戦争で死んだフィリピンへと政府主導で、慰霊巡拝に訪れた。10月10日に出発して10月16日に帰国する7日の旅程に、計139人の御遺族達が旅に参加した。
巡拝というのは、戦争の犠牲となられた方の御霊を慰める事が目的であるツアーを指し、これは旅行先オプションツアーなどでよく見る「戦跡巡り」なんかとは、異なるのです。
太平洋戦争において特徴的な点は、日本軍の戦没者全体のうち半分以上の方が戦いにより命を落とした人、俗にいう名誉の戦死というわけではなく餓死をしたということに他ならない。