未来 5について 戦没者の戦後供養のことなら慰霊巡拝.net

慰霊巡拝.net オフィシャルWebサイト

戦没者のご遺族の方々へのページへジャンプします。 戦没者のご遺族の方々へのページへジャンプします。 私たちが心がける慰霊巡拝についてのページへジャンプします。

慰霊巡拝の未来

別に戦争は褒められたものではないですが、終戦後に敵も味方もなくどちらの慰霊もして、悲惨な戦争が繰り返されないように平和と友好の催しが開催されているのは、両国にとり本当に誇るべきことです。
アメリカ側としては大戦時はグアムは要らなくて、軍事面に於いて重要となるサイパンを支配したがったから、サイパンでの日本兵で戦没者として死んだ人数が増加していったわけです。
沖縄戦で戦死した祖父が持っていた軍刀がずっと家にあり、小さい頃から太平洋戦争の時代への興味がありました。この旅の中では私と主人と一緒に沖縄県の巡拝ツアーというのに帯同しました。
この非常に厳しく極めて壮絶な戦いがあった現地を現実に訪れて、兵士あるいは兵士以外の一般人の苦しさや絶望感がどんなものか感じ取ってみることが出来ればと思って、私はこの巡拝ツアーに申し込みました。
ソロモン諸島と聞くと、「先の大戦での激戦地区」というイメージを描くのではないでしょうか。もちろん主島であるガダルカナル島を始めとするところには如何に激しい戦いだったかが分かるような史跡がたくさんあるのです。


泊まっているホテルに戻り昼食を摂る。しばらく時間をとってから数Km先にある海を臨む地点へと出発した。ここで私自身の父親を含めた合計10名の戦没者を慰霊する運びになっているからです。
太平洋戦争においての日本の軍が繰り広げた戦闘状況の大きな特徴は、何より物資補給の停止、戦地となった現地で採れる食物不足が原因で、相当数の飢餓を生じさせたことに他ならない。
戦没者遺族の皆さまを対象者として、かつて主要な戦場となった陸上と遺骨収集が難しい海上での戦没者慰霊巡拝を敢行するという部分を一番の使命にしています。
毎年南方のガダルカナル島に行く戦没者慰霊のツアーに非常に多くのお客様にお越しいただいております。本年も忘れられない場所に足を運び、より心に残る慰霊ツアーをご提供していきます。
今までに太平洋戦争において日本軍の軍人あるいは軍属として戦地に赴き、不幸にも犠牲となった台湾の方達を悼むべく、慰霊碑を建立しようといった活動が始まっていることは、これまでにもう周知の事実であろう。


周辺諸島における陸・海・空域においてお亡くなりになった戦没者の方々への慰霊巡拝並びにこういった地域の国々と日本の間の友好親善を確立するという目的で活動している団体があるのです。
同じ慰霊巡拝に東京から行ったある方は、戦時中サイパンに居た遺児とおっしゃっていましたが、第二次大戦の終盤、アメリカ軍に狙われた日本出身の民間人というのは、実につらい思いをしたのだそうです。
巡拝のツアーの際の写真の記念冊子が完成しました。記念冊子作成中は、ツアーが意図している事が非常に分かって、私自身も記念冊子に写真を貼る手がしばしば震えてしまいました。
この地沖縄では太平洋戦争の末期で、一般市民も道連れにされたそうとう激しい地上戦から68年目の「慰霊の日」を迎える事になり、大戦中最後の激戦地だった糸満市という所で、遺族その他による追悼式典がありました。
例年「シドニー日本人会」がカウラに出向いて大戦における戦没者の慰霊ツアーをしておられる事を知りまして、ツアーに日本から参加できるか尋ねたところ、大変快く参加してもいいとおっしゃっていただけた。